受け継がれてゆく十年日記
前田 理衣(兵庫県神戸市)45歳
パパさん。
ママさん。
いつもの呼び方で、この手紙を書かせてもらいますね。
十三年前、ママさんが突然倒れて帰らぬ人となり、その三年後、今度はパパさんが心臓の手術を受けて、そのまま亡くなりましたね。
二人の死と引き換えのように、私に子供が二人生まれ、一つの命が宿ると一つの命を奪うということなのか、と考えたりもしました。
この日記帳、覚えていますか。亡くなる前日まで毎日ママさんが書き続けて、ママさんが亡くなったその日からパパさんが受け継いで書き始めた十年日記。
あの頃、遺品の中で見つけて、私が譲り受けました。
「風が強く洗濯物が飛ばされる」
「田舎にお礼状を出す」
綴られていたのは何気ない日常の記録。
でも、その時の想いを書いているところもありました。
私の結婚が決まった頃。
「一月七日。パパが、どんどん決まっていくと淋しいな、とひと言」
私が結婚して家を出た頃。
「六月十七日。ガランとした部屋に入ると、行ってしまったんだなぁと実感がわく」
そんな想いで、私を見送ってくれていたんですね。
淡白でドライな親だと思っていましたが、私の知らないところでどれほど気にかけてくれていたか、この日記を読んで気づきました。
実は、私も書いているんです。
十年日記。
年をとるにつれ、気がつけばパパさんママさんと同じことをやっています。
確実に二人の血が流れているんですね。
そして、これから先、子供達の成長とともに、私も同じ気持ちを味わっていくのでしょう。
十年日記は、二人の過去の記録でもあり、これからの私の未来の指針にもなっていきます。
パパさんママさんの十年日記を手にすると、少し擦れた紙の手触りや、実家の匂い、そして二人の手書きの文字に、二人が生きていた証を感じられます。
それと同じように、私の子供達がいつかこの日記を読む時には、私の汚い字でも、一文字一文字に私のことを感じて欲しい。
そう願っています。
パパさんママさんから私へと受け継がれた十年日記。
それを読んで、もしかしたら子供達も、いつか同じことを始めたりするかもしれません。
そうして、想いはつながっていくのですね。
パパさん、ママさん。
二人の命と入れ代わるように生まれた子供達は、今日も元気に生きています。
これからも、何気ない日常で起きた出来事を、だけどかけがえのない奇跡のような生きている証を、十年日記に書き記していきます。
二人の想いを遺してくれて、本当にありがとう。
友へ
川原 玖三(大阪府高槻市)27歳
児童養護施設で共に育った仲間へ宛てて、ずっと伝えたかった気持ちを込めて書きました。
逢えなくなってもう十年。早いね。
あの頃に比べて、私たくさん笑えるようになったよ。
あんたが自殺したと聞いた時、何故私に一言も言ってくれなかったのと、何故一緒に連れて行ってくれなかったのと、責めてばかりいたよ。
みんながあんたの無事を祈る中、“もういない”と思ってしまった自分を責めてた。
あの時、私が“大丈夫”と思っていれば、あんたは助かっていたんじゃないかと思うと、言ってくれなかった事も、連れていってくれなかった事も、もういないと思ってしまった自分も許せなくて責めてばかりいた。
私達はまだ子どもで、自分たちの力ではどうすることも出来なかった事の方が多くて、なんで、どうしてと思うことばかりだったよね。
何一つ、責任なんて取れやしないのに、馬鹿みたいに全てわかった気になって、周りや大人を見下して否定してた時もあった。
正直、後を追おうとした時もあったけど、でも私は死ねなかった。
怖くて、私には無理だった。
そしてそれがまた許せなかった。
でも、いまはそっち側に行かなくて良かったと思う。
私はいま生きていて良かったよ。
嬉しいことも幸せなこともたくさんあるから。
人の優しさも温もりも知れたから。
十年前、あんたが夢の中で言ったように、私にいまの時間を残す為に連れていってくれなかったのなら、私はあんたにもいまの時間を過ごしていてほしかった。
死ぬという恐怖を越える程のあんたの心を想うといまでも涙が出るよ。
それはとてもじゃないけど言葉にしきれない。
でも今日まで生きてきた私があんたに言えることはたくさんある。
それを全部あんたが残してくれたものなら、私はあんたにも感じてほしかった。
生きていてほしかったよ。
いま、あんたは笑えてる?
心から、少しでも多く笑えてる?
いつも願ってるよ。
寂しさも悲しみも虚しさも、いまは全部満たされてるといいなって。
いまは全部満たされていてほしいなって。
本当は直接、笑ってるところが見たいよ。
出来ることなら会いたいよ。
いつか私がそっち側にいった時、この手紙の事も含めてたくさん話をしようね。
楽しかった頃の話をいっぱいしようね。
その時は懐かしい笑顔を見れるって信じてるから。
私にいまを残してくれてありがとう。
これからもあんたの分も背負って生きてくから、見守っていてね。
バラしてごめん
森野 すみれ(福岡県遠賀郡)51歳
八十一歳で死んだお父さん。
雲の上で楽しくやっていますか。
もしかして、そちらでまた綺麗な女の人を追いかけてますか。
お父さんは、いつも小さな私を歯医者に連れていくふりをして、よその女の人に会ってたっけ。
仇っぽい定食屋のおかみさん、清楚な美人だった映画館のモギリ係のお姉さん、勝ち気で明るい本屋のお姉さん。
お父さんはモテモテだった。
私は口止め料のお菓子が無くても、お父さんの秘密を守ろうと心に決めていましたよ。
大好きなお父さんが楽しそうに笑っているのを見るのが何よりも嬉しかったから。
でもね、ある日、縁側でお母さんが肩を落として静かに泣いているのを見ました。
そしてポツンと「お父さんは一体どこに行ったんやろうねえ」とつぶやきました。
その小さな声を聞いた私は、まるで自分がお母さんを苦しめたような気がして黙っていられなくなり、つい「本屋のお姉さんの所にいる」と言ってしまったのです。
お父さん、バラしてごめんね。
それまでか弱く泣いていたお母さんが、猛然と家を飛び出してお姉さんの家に乗り込んで鼻から血を出したお父さんを連れて帰ってきたときは、今度はお父さんに申し訳なくて、私は柱の陰に隠れたのでした。
でも、土下座してペコペコ謝るお父さんを見下ろすお母さんの目が幸せそうに笑っていたこと、お父さんは知っていますか。
それから似たような事件が何度か起こったけど、その都度お母さんが連れ戻し、鉄拳制裁を受けたお父さんが謝って仲直り、の繰り返し。
年月が流れてさすがのお父さんも遊び回る元気がなくなってお母さんと仲良く散歩するのを見ると、可笑しくて仕方なかったです。
お父さんが逝った今、お母さんは孫に向かって毎日のようにあなたの自慢をしています。
「おじいちゃんは若い頃はそりゃあハンサムで、町中の女の人が皆夢中やったとよ」
お母さんもだんだん体が弱ってきました。
これまで苦労した分、お父さんより長生きしてほしいものです。
お母さんが突然天国のお父さんを訪ねて、また女の人と鉢合わせたらいけないので、その時は連絡しますね。
優しく迎えてあげてください。
亡き妻へ
ばこらった(千葉県大網白里市)41歳
あの日からもう十年がたちました。
桜(娘)もこの春もう中学三年生だよ。
優(息子)も小学六年生だ。
子供たち二人はとてもしっかりしていて、桜はご飯を作ってくれたり洗濯してくれたり。
優も掃除とか頑張ってくれてる。
一切家事ができなかった俺は、必死に二人を育てるために、家事も一所懸命になって覚えたけど、うまくできなくて、二人はそれを気にしてくれてか、何時からか手伝ってくれるようになった。
二人にはホントに感謝してる。
君の血を引いてるんだなぁって、心底感じる。
十五年前に優しい君と結婚して、桜と優が産まれたときは、まさかこんな風になるなんて予想してなかった。
桜は最近ホントに君に似てきたんだよね。
顔も優しい口調も。
優は俺に似てきたって皆に言われるけどね。
天国から見てるだろうから知ってるかもしれないけど、実は今、付き合ってる人がいて、結婚するんだ。
桜も優も了承してくれている。
あとは、君に報告をと思って、今日は筆を執りました。
よろしくと言うか、ありがとう。
ファインダー越しのラブレター
ハナミズキ(東京都世田谷区)40歳
若すぎた結婚……今私は四十歳で、この言葉を時々思い浮かべます。
君は二十一歳、私は二十四歳、人生がまだどんなものか分からない私達が結婚する事になったのはそんな時でした。
君はまだ写真学校の学生で、就職が決まったばかりだったね。
まだ若い私達だったのに、すぐに結婚したいと話していた君に、私も両親も君の両親もとまどう事もあったけど、結婚したからこそ長く、濃い時間を過ごせたんだって思います。
二十六歳の夏、君はあっと言う間に私の前からいなくなってしまいました。
私達は出会いから五年の間に結婚し、子供をもうけ、家を買い、平凡ながらも幸せな毎日を送っていました。
その五年に、様々な出来事がありました。
二人の結束はいつも強かったけれど、若い私達には解決法が見出せなくて、心が折れてしまいそうな日も沢山ありました。
その度に、私は君に怒りました。
なんでもっとしっかりしてから結婚しなかったの?
こんな苦労した事なんてなかったよ、もう嫌だよ、と。
でも君は真っ直ぐ私を見つめて、好きだから、すぐにでも一緒にいたかったから、ごめんね、とあやまるばかり。
今思えば、なんて我儘だったんだろう、いくらでも解決法はあって、自分が未熟なだけだったと思います。
その時は分からなかった事が沢山あります。
大きな渦に入ってしまって、自分達がどんな状況か全然見えない日々の中で、毎日必死に家庭を作って行きました。
ようやく落ち着きはじめた暮らしの中で、君は亡くなってしまいました。
亡くなった日にポケットに入っていたのは、小さな定期入れで、中には二人で写る写真でした。
こんなに愛をもらって、子供も授かって、初めから最期までずっと二人でいました。両親から与えられた愛情以上の愛情を感じました。
君が亡くなってから私はどうやって再び立ち上がるか、ずっと迷って試行錯誤しながら十年が経ちました。
今は周りの温かい支えがあって、私も私達の息子もしっかりと歩み始めました。
そして、平凡な幸せを感じながらふと、君を想い出します。
あの日の笑顔、早すぎるプロポーズ、こんなに短い人生だったのだから、結婚したかったのは運命の知らせだったのかもしれない、と思います。
実家を整理していたら、昔の写真が沢山出てきたよ。
あの日、世田谷公園でカメラを持つ君が二十四歳の私を撮った。
快心の笑顔で、今日は最高の写真が撮れたよ、と。
君が亡くなって、悲しくて悲しくて、写真をずっと封印してあったけれど、屋根裏部屋から見つけたんだ。
君を見つめてはにかむ二十四歳の私の写真。
写真の裏にボールペンの小さなメッセージ。
今日、僕は幸せです。
それを見たら涙が止まらなくて、封鎖していた感情が溢れた。
私こそ、ありがとう。
本当にありがとう。
ずっと一緒にはいられなかったけど、私も幸せだったよ。
忘れないよ。
おばあちゃんになっても、ずっとずっと。
ふとした瞬間に、君の温かさが生涯私を照らすよ。
ありがとう。
君にもう一度会えたら、抱き締めて言いたいよ。
君に会えて良かった。
第5回「あの人へ贈る言葉-今は亡き“あの人”に届けたい手紙-」入賞作品はこちら
2015年春に公募しました第5回「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」。
全国からご応募いただいたお手紙の中から、金賞1編、銀賞5編、銅賞10編、佳作100編の計116編を選定し、書籍に収録しました。