第1回「あの人へ贈る言葉-今は亡き“あの人”に届けたい手紙-」入賞作品

※第2回からはプロジェクト名が若干変更となっています。

銅賞 じいちゃんへのラヴレター

安孫子絵美(山形県山形市)26歳

じいちゃんへのラヴレター 私は幼い頃より、祖父にぴったりくっついてどこに行くにも何をするにも一緒でした。
祖父は戦争を体験しておりましたので、少々頑固者でいつも戦争の話・戦友への深い思いを口にしていました。
しかしその反面、孫娘の私に対する愛情はとてつもなく大きなものでした。
祖父が入院し、突然逝ってしまう前に、まだ意識のあるうちにちゃんとお別れができなかったのか、今でも後悔しています。
私は感謝の言葉を直接伝えることもできぬまま、葬儀の中、弔事として祖父へ手紙を書きました。

じいちゃん、聞こえますか。えみだよ
じいちゃん、覚えていますか―

二十四年前、私はじいちゃんの孫としてこの世に生まれて来ました。それからずっと今まで私はあなたのいるこの世界で生きて来ました。
私が幼い頃、じいちゃんのこぐ自転車の後ろにちっちゃな座布団を敷いて、じいちゃんの背中にピッタリくっついて二人で自転車に乗って日が暮れるまで公園探検したよね。あっちだ!こっちだ?って遊び回り、お腹がペコペコになると、こっそり“二人だけの秘密だよ”ってうどん屋さんで温ったかーい一つのうどんフゥフゥして二人で仲よく分け合って食べたね。とびきり美味しくて幸せの味がしました。
じいちゃんは私がすることは、すべて誉めてくれました。
私のどんなに下手くそなフルートやピアノの演奏も、じいちゃんだけはいつも「じょんだな、じょんだ」と手をたたいてニコニコ笑って誉めてくれました。
そうやって私はじいちゃんのいっぱいの愛情を受けてここまで育ちました。

私は昔から思っていたよ。じいちゃんのね、瞳はね、特別でした。ビー玉の様にいつもキラキラしていて、透き通っていて、そんな瞳を持った人は数少ないと思います。 まるで少年の様に、いつまでも純粋でい続けられる特別な人でした。八十五年間、最期まで心のキレイな人でしたね。
できることならもう一度、もう一度だけそのキレイな瞳で、そのあったかい笑顔で、ぬくもりのある優しい声で「えみちゃん」と呼んで欲しいです。
じいちゃん待っててくれたのに、間に合わなくてごめんね。 じいちゃん、絵美ね、今度生まれ変わってもまたじいちゃんの孫として生まれてきたいです。いいですか。
この世の中で一番大好きな私のおじいちゃん。周りの人みんなに愛された忠太郎おじいちゃん。本当にありがとう。お疲れ様でした。
ゆっくり休んで天国でも太陽に向かう向日葵の様な、そのスペシャルじいちゃんスマイルをいつまでも輝やかせていてください。
最期のお別れは、じいちゃんが生前よく照れ隠しで使っていた言葉でサヨナラしようね。
「メンバイ、メンバイ じいちゃん」
あなたを心から愛する孫の絵美より

佳作 お母さん ありがとう

長坂綽子(千葉県船橋市)75歳

故郷を離れて五十年、盆暮には帰郷する事を楽しみにしていた。
帰郷の度に、母さんは嬉しそうに、いそいそと子供の時からの私の好物の手巻き寿司を作ってくれましたよね。
母さんにとって私は幾つになっても子供であり、精一杯好物の手巻き寿司を食させる事が一種の喜びであったのかもしれませんね。
母さんが八十五歳を過ぎた頃からでしょうか、私には寿司の堅さが何となく気になるようになってきました。
今までは堅く巻かれていた手巻きの寿司が年毎に緩くなり、粗くなってきたように感じられました。
手にした寿司が時にはポロポロとこぼれる事があり、あらためて年毎に老い行く母さんを寂しく感じるようになりました。
ただ、絶妙な酢加減だけは変らないのが救いでもありました。
九十歳を前にして母さんが言いましたね。「あんたの好きな寿司がなあ、もう巻けんようになってしもうたんや。力がのうなって堅く巻けんのよ。お米がぽろぽろとこぼれてしもうてなあ…」と寂しそうに言いました。
「母さん、もう、いいんだよ。今まで十分堪能させてもらったよ。長い間、ごちそうさまでした。本当にありがとう」と言いたかった。でも、胸が一杯で口にする事ができませんでした。

母さんが亡くなって三年、時にふれ、折にふれて、母さんの手巻き寿司の味が懐かしく思い出されてなりません。
同時にまた、「お母さん、長い間、手巻き寿司を堪能させてもらって本当にありがとう」と口に出して言えなかった事が悔やまれてなりません。

佳作 あなたに贈る手紙

桔梗淑子(東京都板橋区)77歳

あなたに贈る手紙あなたに初めてお会いしたのは、プロの演劇サークルの集いでしたね。
そこの家の作家さんに紹介されて、あなたは恥ずかしげにお辞儀をされました。
私は演劇という世界に、一歩足を踏み入れたところでした。
お互い話題が次々と、切れ目なく生まれ尽きませんでしたね。
作家さんのお宅で夕飯をご馳走になりました。あまり長居はご迷惑だからと、私達はお宅を失礼しました。あなたは話したいことがまだまだあるようで、外を歩きながら「喫茶店に入ろうか」とお馴染みの店に入りました。そこでの会話も芝居にまつわる話であなたの人柄がとてもよく分かり、好意を持ちました。時計を見ると十二時です。あまり遅くなってもと店を出ました。
あなたはタクシーを探していました。
手を上げるとタクシーがすーっと寄ってきました。私はあなたのそばにもう少しいたかった。もう少し話したいという気持ちを抑えて車に近付きました。あなたの家とは方角が違うので、あなたはドアを開け、私を支えるように車の中に座らしてくださいました。私は車の窓を開け、あなたを見上げました。私はあなたに心が強く傾いていました。胸の鼓動が高鳴っています。
あなたは「明日、また会おうか」と言われました。
私には夢のような言葉です。
「はい」と答えてタクシーは発車しました。
嬉しくて嬉しくて、ほてった体で家路に着きました。

そして私達は結婚しましたね。結婚生活は充実してとても楽しかったわ。Kちゃんが産まれて大喜びのあなた。
でもあなたは急死してしまった。脳血栓、お葬式では私は泣きっぱなし。
私にはあなたが今でも私のそばにいらっしゃるような錯覚があります。ですから今でもあなたへの思いは衰えることなく四十年近く経っても情熱を持ち続けていられるのでしょう。

佳作 君に感謝

大森幸子(京都府京都市左京区)32歳

神遊君、君が旅立って十年が経ちました。
ウルフルズの歌をBGMに、花に囲まれた君の手を握っていたのが昨日のことのようです。
お互いに甥ができて、すっかり叔父さん、叔母さんになってしまいましたね。

私の通っていた小学校に、神遊君が訪れてもう二十三年。
お別れまでの十三年間、友達として、またボランティアとして、一緒に過ごしましたね。
神遊君は私との思い出の中で、何が一番印象に残っていますか。私は、君とボランティアとして過ごした三年間です。
「重度の障害者でも、英語の知識は必要だ」と言って、英語の本の読み聞かせをしましたね。
君の車椅子を押して、一緒に近所を散歩しましたね。
他には大学の学園祭に行ったり、プールで泳いだり……。
そうそう、おもちゃライブラリーのイベントにも一緒に参加しましたね。
一緒にお料理作ったり、イモ掘りしたりしましたっけ。
ボランティアと呼ぶには独りよがりだったり、気遣いが足りなかったりしたところもあったと思います。そんな私に、君は嫌な顔一つせずに接してくれましたね。お母さんと一緒に笑顔で私を出迎え、笑顔で私を送った君を、今もはっきりと覚えています。
また、君を通じて、いろいろな人の縁ができました。
おもちゃライブラリーの人たち、ヘルパーさん、神遊君のお友達……。
私の恩師が神遊君を知っていて、君の話で盛り上がったこともありました。
君が旅立った時、健常者の人から、重度の障害を抱えた人まで、たくさんの人が君を見送りに来ていました。その数の多さに、君が結びつけた縁の多さと深さ、多様さを感じました。

今、私は君のお母さんの紹介で、お寺さんのお手伝いをしています。
職場とはまた違った環境の中で、いろいろな刺激を受けながら、充実した日々を過ごしています。
もし、神遊君に出会ってなかったら、私は多くの出会いを見逃していたことでしょう。
君は私の人生に、大きな影響を与えてくれました。
神遊君、君は「運命の人」です。ありがとう。

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書籍の紹介

2010年春に公募しました第1回「あの人へ贈る言葉-今は亡き“あの人”に届けたい手紙-」※では2,163編の応募作品から金賞1編、銀賞5編、銅賞10編、佳作147編を選定し、この書籍に収録しました。
※第2回からはプロジェクト名が若干変更となっています。

今は亡きあの人へ伝えたい言葉
書  籍
「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」
発行日
平成22年12月25日 第1刷発行
編  者
「あの人へ贈る言葉」実行委員会
発行所
株式会社鎌倉新書
判  型
四六判406頁
ISBN978-4-907642-34-1 C0012
書籍はこちらから購入できます。
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